2018.04.04

「なんくるないさ~」で笑顔いっぱい

九州各県で活躍

昭和57年(1982年)卒の戸上さんは、戸建て住宅やマンション、及びそれらのリノベーションを中心とした設計活動で九州各県を飛び回るパワフルな一級建築士だ。大学で環境設計を学び、大手建築設計事務所で修行を積んだ後、約20年前に福岡で一級建築士事務所を開設。

彼が手掛けたマンションや戸建ては福岡市東区の千早・香椎エリアに多く点在しており、写真を見て「見たことある。」、と思い当たる福岡在住者も多いかもしれない。「代表的な作品は千早駅前のドコモビルの向かいに建つ白い外壁とブルーのガラスが象徴的なTHE LINDOSというマンションで、1階に正屋という自転車屋が入っています。」、と見せてもらったのは、”光”の魅力が存分に活かされた居心地よさそうな”うつわ”だ。住む人達の笑顔が見えて来る。

パイロットのはずが…

戸上さんが建築士になろうと思ったきっかけは子供時代に遡る。小学2年の時、自宅の新築で大工さんの仕事に興味を持った。「物心ついた頃から物づくりに興味があったところに、柱や梁一本一本に手を加えて家という形に仕上げていく過程を目の辺りにして… その感動の光景は未だに記憶の中にあります。」 ただ、小学校の卒業文集にはなぜか将来の夢にパイロットと書いたそうだ。「なぜパイロットと書いたのか、未だもって疑問に思っています。」と笑う。

余談だが、戸上さんは建築家の前に彫刻家デビュー(?)を果たしている(笑) “宇部興産化学事業発祥の地”の記念碑は学生時代の彼のデザインだ。「当時の宇部興産関係者から「デザイン関係の勉強しているならちょっと記念碑のスケッチ描いてもらえる?」みたいなことでデッサンしてみたら、そのまま形となってしまいました。」


宇部興産記念碑

華やかな世界の裏で

一級建築士というと、一般的にはとてもクリエイティブで華やかな世界を想像するが、現実は全く違うそうだ。「設計時には建築基準法とのせめぎ合い、大型物件だと近隣住民への説明では嫌みをしこたま言われたり、現場に入ればゼネコンや工務店、職人さんたちと意見のぶつかり合い、年々変わる法規の勉強、日々めまぐるしい進歩の設備の理解など、いろいろなものと泥臭く闘いながらの日々です。一番は時間との闘いですかね。まぁ「なんくるないさ~」精神で頑張っています。」

ハウスメーカーや建て売り専門業者は設計がパターン化しているので、繰り返していけば自然と建物のクオリティーが上がっていく。それに対し、設計事務所では殆どの場合が一品生産だ。ましてや工業製品のように試作を何度も造って実験を繰り返すなんて出来ない。それでいて失敗は許してもらえない。「建物の大小に拘わらず、常にプレッシャーと闘い続けています。足場を解体した後は手直しが出来なくなるので、楽しみでありながら胃が痛くなる瞬間でもあります。」

ただ、苦労をすればするほど出来上がった物件に愛着が湧くものだ。「引渡しの日を迎えると娘を嫁にやるような気分になります。子供はいませんが…」と語る。どの作品にも戸上さんの丁寧で温かい気持ちがこめられている。「自分の引いた線が形として建ち上がり、それがずっと永いこと残るというのは他にない仕事であり、とてもやり甲斐を感じています。」、と続ける。

ひそかに体育会系

実は戸上さんは根っからの体育会系だ。休日にはレースの一種であるラリーに参戦したり、山登り、スキー、キャンプなどを楽しむ。高校時代はラグビー部に所属しつつ、なかなかワイルドな学生生活を送っていたようだ。「怪我ばかりで万年補欠でした。他に軽音部、臨時コーラス部?に所属しながら、夏休みや春休みなどクラブが休みの日には自転車にテントを積んで何処かに出かけていて家には寝に帰っているという感じでした。おかげで(?)理数科で落ちこぼれ(笑)」。

自転車好きの戸上少年は、高校卒業後、なんと1年かけて日本一周までやってしまった。「漫画『サイクル野郎』に刺激を受けて、単純に自分もやってみたいと思っただけです。自分の我が儘を聞き入れてくれた両親に凄く感謝しています。多くの人と出会い、多くの経験をして、これぞ青春!って感じでした。」…羨ましい体験だ。

携帯電話もインターネットも無い時代、しかも一度家を出るとなかなか家に連絡を入れない無精なタイプだったそうで、連絡は2週間に一度程度(?)、当時主流だった10円玉公衆電話から。「今○○にいる、フィルム送るから現像しといて」と勝手なお願い電話で一方的に話して、即切りしていたような気がします。快く出してもらっといて、親不孝ですよね。」、と振り返る。

旅の途中、ピンチもあった。長良川の河川敷にテントを張って休んでいる時、急に土砂降りの雨に見舞われた。「あまりに綺麗な夕焼けで台風が近付いていることをすっかり忘れていて、慌てて河川敷から脱出すると、間もなくして水量が川幅いっぱいになっていました。夏でしたがズブ濡れで寒かったので、近くのマンションの駐車場で寝袋にくるまって寝たのですが、よく通報されなかったと思います。」
こんなピンチを乗り越えたおかげか、出発前と後で自分自身が一番変わった点は「ちょっとしたハプニングには動じなくなってふてぶてしくなったこと」だと言う。

たくさんの笑顔を

お施主さんの「こだわり」や「個性」を最大限活かすデザインと、「住み心地」や「使いやすさ」といった住空間のベストな融合を追求する戸上さん。理想の実現のために、忙しくても時間をかけ、住み手とはお互いに納得するまで何度も打ち合わせを行う。「私の今後の夢は、もっともっと良い建物を設計して、多くの人の笑顔を見ることです。」、と未来を話す。

後輩達へ

作り手と住み手の夢が詰まった彼の作品は、独特な外観などオリジナリティあふれる「桐の家」をはじめ、雑誌でも度々紹介されている。しかし、現状にとどまることなく、仕事の合間にあちこち研修や視察に出かけ、更なる高みを目指す。

そんな戸上さんに宇部高校の後輩の皆さんに伝えたいメッセージを聞くと、「思い立ったら吉日、深く考え過ぎず取りあえずチャレンジしてみましょう。何らかの結果がついてくるものです。もしそれが失敗だったと気付いたとしても逆にその経験を将来に活かせるので、決して無駄ではないハズです。ただし失敗に気付いた時に早く手を引く勇気も必要です。山登りの哲学に似ていますかね。」、と背中を押してくれた。

【プロフィール】
戸上 裕朗 (とがみ ひろあき)さん Mr. Hiroaki Togami

1982年 山口県立宇部高校卒業
1982年 高校卒業後、一年間自転車で日本一周
1988年 九州芸術工科大学(現九州大学)芸術工学部環境設計学科卒業
1989年 (株)I.N.A.新建築研究所入所
2000年 住建築工房設立
2006年 住工房に改称

【住工房 紹介動画】

【編集後記】

住み手さんとの打ち合わせでは、時に盛り上がり過ぎて5時間も話し込むこともあるらしく、根っからものづくりが好きな人だ。2017年の九州北部豪雨災害の際にはすぐ被災地にボランティアに駆けつけ、炎天下の中、若者達に混じって力仕事に汗を流されたと知り、その温かさと行動力に感動した。こんな人が住まいを作ってくれたら、きっと笑顔になる。
戸上さん、今日はありがとうございました。「取りあえずチャレンジ」という言葉、私も実践します♪
(2018年4月4日)