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私と宇部高校   リレー エッセー

「10年後に届いた手紙」 H19(2007)年卒 早川方樹  Vol.7 -- 2017年12月15日
 みなさん、こんにちは。H19(2007)年卒の早川方樹と申します。この度はご縁をいただき、本サイトの運営に携わらせていただいております。宇部高校にまつわるお話ということで、1年生の時の担任であった角谷先生との一つのエピソードことを書きたいと思います。

♦10年後の自分への手紙♦
 3学期になり、もうじき2年生にあがるタイミングで「10年後の自分に手紙を書いてください。私が預かって、10年後みなさんの家に送ります。」と言われたのです。当時16歳だった私には26歳の自分のイメージが全くできませんでした。家族と離れて暮らすこと自体信じられない程でしたので。ただ凄く大人になってるんだろうなーとぼんやりと思いながら、手紙を書いた気がします。

♦本当に届いた手紙♦
 26歳になった年に先生から本当に手紙が送られてきました。僕自身すっかり忘れていました。26歳の自分に書いた手紙がこちらです。
(思ったより短い!? 内容も結構あっさり目♪)

 当時から海外や世界遺産に興味があったので、旅行のことが多いですね。前半は比較的現実的な内容ですが、後半は少しぶっ飛んでいますね。文末のの2行は特に。。。 当然ながら実現できたものもあればできてないものもあります。実現できたものについて少し紹介させてください。

♦海外旅行に明け暮れた大学生活♦
 高校卒業まで海外や飛行機に乗ったことがなかった反動もあり、大学時代はかなり海外へ行きました(33ヵ国・1地域)。世界遺産をめぐることが大好きなので、行きたいところを見つけては、すぐに飛んで行ってました。やはり海外ではトラブルは付き物ですね。仲良くなった現地人に盗難されたり、銃を突きつけられたり、チリの大地震で安否不明者リストに載ったり。今となってはこういうことの方がむしろ思い出として残ってますね。
(禁止区域での撮影だったのでこのあと怒られました。)


(肉眼では雲のようでしたが、カメラではきちんと撮れてました。)

いろんな国や文化に触れたことで、高校生の時とは考え方やものの捉え方が大きく変化しました。やはり体験に勝るものはないですね。
ですが、何より変化したのは見た目かもしれません。

(左は高校3年時です。)

と、冗談はさておき、今回九州かたばみ会の同窓会に関われていること、学年幹事として任されていることに自分自身の変化も感じますし、大きな喜びとなっております。その期待に応えられるよう、しっかり日々を過ごしてまいります。
最後に、同窓会の場に呼んでいただいた中川一光さん、HP運営・エッセーの機会をくださった石神美代子さん、ありがとうございました!このご縁に感謝いたします。– 早川 方樹 (はやかわ まさき)

「濃い3年間…いつかその恩返し」 S59(1984)年卒 西谷美代子  Vol.6 -- 2017年11月15日
 皆さま、こんにちは。S59(1984)年卒の西谷美代子と申します。先般、梶返恭彦先輩と九州かたばみ会を立ち上げ、今年初めに第1回総会を開催させて頂きました。多くの方々の温かいご支援にあらためて厚く御礼申し上げます。時に暴走する私(笑)を大らかな笑顔で受け止めてくださる優しい事務局長・梶返先輩の下、来年5月の第2回総会に向け、実行委員長として、委員の皆さんとともに只今楽しく準備を進めています。

 このリレーエッセーのテーマは宇部高とのつながりです。とりとめのない話になりますが、暫しお付き合いくださいませ。


(2017年 校内に掲げられた応援歌。歌詞、覚えてますか?)

♦母校で人生初の講演♦  宇部高HPへ
 先月、スーパー・グローバル・ハイスクール(SGH)に指定されているその宇部高で、1・2年生約500人を前に講演させて頂きました。人前で話すのが苦手なのでとても迷いましたが、せっかく母校から与えて頂いた貴重な機会ですし、少しでも後輩の皆さんのお役に立てれば…とお引き受けました。

 70分間の講演では、SGH事業を通じ、国際交流や各研究に励む生徒さん達に「海外に飛び出してわかったこと~外資系CA、特派員として」と題し、世界での活躍を目指す意義について、社会人の第一歩を海外で迎えた事、ファーストクラスでの逸話、海外メディアで働いて気づいた日本の存在感、60ヶ国以上を旅した経験などを交えてお話しました。


(2017年  宇部高SGH セミナーで緊張しながら講演)

 後輩の皆さんは私の要領を得ない話にも(笑)ずっと真剣に耳を傾けてくれ、講演後は好奇心溢れる彼らの質問攻めに遭い、更に後日送られて来た感想文を読むと、各自の実体験と結びつけて丁寧に考えてもらえたようで、その柔軟性と吸収力に感じ入りました。講演を通して、何かを一番つかんだのは、生徒さん達ではなく、私の方だったようです。


(2017年 現在の校舎 右奥に調理室がありましたね)

♦最高に濃い3年間♦
 実は母校の校舎に入るのは大学時代の教育実習以来でした。私が通っていた頃の宇部高は、一部を除き男女別々のクラスで、私も3年間女子クラスでした。既に取り壊された平中新館という校舎では、廊下を挟んで男子クラスの教室と女子クラスの教室が並んでいたので、「宇部高は男女共学じゃなくて、男女平学だよね」、と言われていました。

 用があって、男子が女子クラスに来たり、逆に女子が男子クラスに行く時は、さすがに教室には入れないので、入口で誰かにお目当ての相手を呼び出してもらうわけですが、みんなの視線が一斉に入口に集まるので、なかなか勇気のいるミッションでした(笑)

 高校生活は、生涯友情が続く大切な友人達に出会い、勉強や恋に一喜一憂する最高に濃い3年間でした。先日、久しぶりに高校時代の日記を引っ張り出してみました。昔の日記を読むのはとても恥ずかしいものですが、同時に、若さにあふれ、キラキラ輝いていた頃の自分にたっぷり元気をもらいました。そして、当時の私に見られても恥ずかしくない生き方をしないといけないな~、と反省も…


(高2の修学旅行 in 金沢)

 先生方にも恵まれました。一時期、高校教師(世界史)を目指していたのは、ひとえに宇部高時代の素晴らしい先生方の影響です。成績は、というと、大好きな世界史は卒業までずっとクラスで1番でしたが、数学はとても苦手で、赤点を取った事もあります。

 2年生のある定期テストで、世界史が学年トップの98点で、その時の数学はおそらく学年最下位の4点。担任の権田先生から「こんなに極端な生徒は初めてよ」、と言われた程です。その世界史の中村先生、数学の松本先生、ともに今でも年賀状を交換させて頂いてます。


(2017年 昔の下足箱は予備ながら健在)

♦主将の気遣い♦  
 そして当時、何といっても一番打ち込んでいたのが部活です。中学時代に熱血野球少女だった私は、入学と同時に野球部のマネージャーになりました。その頃のクラス写真を見ると、私がぶっちぎりで一番黒く、同級生に「黒雪姫」と呼ばれた事もあります(笑)

 ご存知のように、野球部の練習は長く忙しく、先に帰って行く”帰宅部”や他の部活の人達をグラウンドから毎日眺めているうちに、自然と何百人もの在校生の顔と名前を覚えてしまったものです(笑) 夏などは厚南の自宅に自転車で帰り着くのは8時半過ぎになっていたり、お正月とお盆くらいしかまともな休日が無い状況でしたが、そんな忙しさも全く厭わず、大好きな野球にどっぷりつかれて至福の日々でした。

 今振り返ると「高校の頃、全然遊んでなかった!!」と、ちょっともったいない気もしますが、夢中で夢を追いかけた経験は、自分にとって大きな財産です。一緒に頑張った野球部の仲間とは、当時監督だった石尾先生を囲んで毎年集まったり、東京出張の際に会ったりして、今でもパワーをもらっています。


(高3の夏、最後の予選)

 3年生の夏、甲子園を目指す最後の予選前、こんな事がありました。体育館での壮行式を控えたある日、野球部の中村主将から「マネージャーもステージに上がってね。野球帽もちゃんとかぶってよ♪」と言われました。突然の大胆な提案に驚き、そして素直に嬉しかったです。

 今でこそ女子マネは甲子園のグラウンド内やベンチに普通に入れますが、その時代の私達はひたすら陰で選手を支える存在。結局、「前例が無い」という事で、私がチームメイトと一緒に壮行式のステージに上がる機会はありませんでしたが、主将の気遣いが心に沁み、楽しく突っ走った3年間の部活にぴったりの笑顔の締めくくりとなりました。

♦「楽しい」と「恩返し」♦
 九州かたばみ会を立ち上げさせて頂いた後、よく聞かれる質問があります。「なぜ始めたの?」と。答は「楽しいから」と「恩返し」です。

 準備をしながら、楽しかった高校時代を思い出し、同時に、あんな素晴らしい日々を与えてくれた母校に少しでも恩返しできたら、という気持ちもあります。小学校でも中学校でも転校を経験した私にとって、入学→卒業まで丸々過ごせたのは宇部高が初めてでした。だから余計に愛着があるのかもしれません。


(2016年 クウェート首相来日の為、取材 in 首相官邸)

 第1回の九州かたばみ会の開催を通じ、たくさんの素敵な卒業生の方々とお目にかかり、九州近郊の同窓生の輪が広がり、絆が強まった事をとても嬉しく思います。そして、少々申し訳ないのですが、結局母校に恩返しをする間もなく、逆にいっそう母校への恩を感じているこの頃です。

 試行錯誤の連続だったこの会も、今では各方面に秀でた実行委員の皆さんが率先して準備を頑張ってくれており、頼もしい限りです。来年5月19日(土)、大幅にパワーアップした第2回九州かたばみ会で皆さまとお会いできるのを楽しみにしております♪ — 西谷 美代子 (にしたに みよこ)

宇部高校にまつわるエッセーをお寄せください♪

*題材:宇部高にまつわるお話 –“宇部高時代の思い出” “最近の宇部高ってこんな感じです”など
*長さ:800字以上
*写真:1枚以上
*プライバシー:ファーストネームのみやペンネームでもOKです。卒業年は掲載させて頂きます。

送り先 : 九州かたばみ会事務局 メールフォームまたはinfo@qkatabami.net

「宇部高時代の思い出、その後から今」 ~多くの出会いと絆~ S51(1976)年卒 梶返恭彦  Vol.5 -- 2017年10月18日
 昭和51(1976)年卒の梶返です。九州かたばみ会の事務局長を仰せつかっておりますが、全てを石神さんに頼り切っており、名ばかりの事務局長ですみません。石神さんからのご指名ということで、拙文を書かせていただきます。

 上宇部中では野球部に所属し、宇部高では野球部に入り、初の甲子園出場か?あるいは、その当時から有名だった混声合唱部(10年前にNHK合唱コンクール全国優勝)に入り、再度の全国優勝か?どっちにしようか、と悩んだ末(半分冗談ですが)、女子が多い合唱部に入部しました(笑)。もともと、楽器をいじるのが好きで、ピアノもほぼ独学で、自分が楽しむ程度で弾いていましたが、合唱は初めてでした。

 和田先生のそれはそれは厳しい指導に耐え、また先輩方との温かい家族的雰囲気の中、素敵なハーモニーに3年間どっぷり染まりました。その結果、なんと2年の時にNHK合唱コンクールで見事全国優勝を成し遂げることができたんです。入学当初に思い描いていた結果になったのです。スゴイことです。3年のときも全国準優勝という、黄金時代??にたまたま在籍することができ、本当に幸せ者でした。2年の時の全国優勝では、ちょうど新装になったNHKホール(大晦日の紅白歌合戦の会場)のステージで歌い、ブラウン管をとおして、宇部高の合唱が全国のお茶の間に届けられました。今思うと、宇部高の3年間は合唱三昧でしたが、とても充実した時代であったと、感慨深いものがあります。


NHKホールでの合唱(テレビ放映)  (最前列男性の左端が私です)


合唱部の先輩方と (右から2人目が私です。若いですね)

 卒業後は栃木の大学に進み、森林(林業)を学び、その後造園に興味をもち、千葉にある大学の大学院修士課程に進み、最後は福岡の大学の大学院博士課程にと、大学を3つも転々としました。29歳までずーっと学生でした。とんでもないですね。長い間仕送りをしてくれた親には、とても感謝しています。そういう中で、福岡の大学に進んだことを契機に26歳で結婚しました。ズバリ、学生結婚です。女房にも生活費を工面してもらい、今でも頭が上がりません。

 大学に残り、研究を続けたかったのですが、助手のポストもなく、出来の悪い学生でしたので、教授からは大学に残るのは大変だから公務員にでもなったらどうかと。2人の子供がいる身で何とか福岡市役所に新卒で入り、31年間を造園技術職員として、公園緑地関係の仕事に従事しました。その間、アジア太平洋博覧会(よかトピア)、ユニバーシアード福岡大会等々の大きな事業にも関わり、2年間のUR都市機構本社(東京九段下)への出向、福岡アジア都市研究所への出向、また数回の海外出張等、数多くの経験をさせていただきました。ローカルな話で恐縮ですが、今なお多くの家族連れで賑わっている、空港近くの東平尾公園大谷広場の冒険コーナーは、私が担当した数少ない成果品です。


大学時代の友人たちと  (左から2人目の爽やか青年?が私です)

 今は、今年3月に福岡市役所を定年退職して、4月から宇部に独り身でUターンし、ときわ動物園でお世話になっています。女房と子ども達は、福岡が大変なお気に入りで福岡から離れようとせず、現在、宇部市梶返の実家で高齢の両親と暮らしています。

 生息環境展示という、動物が野生の生息地で生活しているような環境を再現し、檻や柵が最小限の植物を多用した展示手法は、全園をとおした施設としては、国内でときわ動物園だけです。日々違う動きをする動物たちを、ワクワクしながら観てまわる楽しさ、何とも言えません。最高です!  是非、皆さん、ときわ動物園にお越しください。昔のときわ丸があったときの動物園とは全く違う、大変魅力的な動物園が宇部に誕生しました。今、国内の動物園関係者、動物園ファン等々から注目の的です。ときわ動物園、最高に面白いです。


ときわ動物園(檻のない空間を自由に動き回るシロテテナガザル)

 定年後、まさに1年目を迎え、宇部に40数年ぶりに戻り、振り返ってみますと、これまでの数多くの方との出会い、また決して一人では何もできなかったこと、人間一人一人皆違い、多様な考えがあることなど、今61歳にして感慨深く思いにふける今日この頃です。その原点は、宇部高3年間の合唱部活動であり、3つの大学での学生生活で出会った多くの先生や友人、市役所時代の多様な市民との対話、業界の方とのお付き合いなど、これからも数多くの方との出会いと絆は、私の掛け替えのない財産です。

 私自身、いろいろな方とのふれ合いや会話を楽しむのが大好きな性分でもあり、おそらく、この性分は小学時代の2年間のアメリカ生活で培ったものと思っていますが、今まで出会った方、またこれから出会う方との、つながりを大事にしていきたいと切に願っています。

 これからの九州かたばみ会も、遠慮なくバカ笑い出来るような雰囲気で、楽しくやっていきたいと考えています。宇部から頻繁に福岡に出て来ますので、今後ともよろしくお願いします。– 梶返恭彦 (かじがえし たかひこ)

部活動が教えてくれた「後悔することの大切さ」  H17(2005)年卒 柴田祐美子  Vol.4 -- 2017年10月1日
 平成17(2005年卒)柴田祐美子です。現在福岡天神にてメイクレッスンサロンを運営しております。
私の宇部高時代の思い出は、ほぼ部活動(バスケットボール)の記憶がほとんどです。 入部時から、経験者と未経験者に分かれて練習が始まりました。スタメンはもちろん経験者組。テンション落ちましたが、練習はしてました。(当たり前ですが)

 でも中途半端でした。「2軍で負けないくらいになってればいいや」くらいで自分がスタメンとってやろうとか、全く思いませんでした。自分の手の入れようが適当でぬるいことにはわかってるけど「継続して努力する」ということができませんでした。

 そしてそのまま時が流れて、引退試合。相手は商業高校で強豪でしたが、かなりいい試合でした。

 でも、途中から相手が優勢に。

 監督の采配のつらいところで「勝たせてあげたい。でもこれが最後になる可能性があるから卒業生に出させてあげたい」と思われたのだと思います。控え選手が一人ずつ呼ばれて試合に出ましたが、私ともう一人は、最後まで呼ばれませんでした。

 私は心の中で、すごく安心してました。「こんなすごい試合には、出たくない。自分にボールが渡ること自体がいやだ」と思ってました。私はガードというボジションで、ここが崩れると自分達の試合をさせてもらえない。

 先生は、最後の最後まで「試合に勝つ」ということを諦めていなかったから控え選手も出しながらスタメンが引っ張ってなんとか張り合える構成にしていたんだと思います。

 だから最後まで私の出番はなかった。

 奇跡と言いたいようなプレーやゴールも何度もありましたが、試合は宇部高の負けでした。

 控え室に移動する時に 監督が、私と試合に出られなかったもう一人を呼んで手を握って泣きながら言いました。「試合に出してあげられなくて本当に悪かった」と。その言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。

 それは、自分が出られなかったことに対して泣いたのではなく
・自分が「出たくない」と思っていたこと
・監督がこんなに泣いているのに自分は出れなかったことに安心していたこと

 過去の自分の努力の足らなさに心底悔しくて恥ずかしくて情けなくて、でももうそれが過ぎた過去になってしまったことに気づいて涙が止まりませんでした。

 これは私の強烈な失敗体験となりました。

 卒業してもう10数年立ちますが、最近「どこまでいっても、人は不完全である」ということに気づきました。

 もちろん私のように強烈に後悔する前にきちんと毎日やることを決めて努力することは絶対した方がいいと思います。ですが、努力不足で悔やんでも、不完全でも、基本は全て通過点だと考えるようになりました。何かつらいことがあっても前を向き続けると自分に約束をして、何でもいいからその時に小さな一歩を踏み出すことが大切。

 そうすると、その経験が、「辛いことがあってもバネにして成長できる人間」にさせてくれます。

 辛く強烈な思い出は残りますが、そんなことすら笑いあえる友達を作れたことが宇部高に入って一番良かったなと思えることです。

 最後に、九州かたばみ会の設立に尽力され、エッセー掲載の機会を下さり、石神美代子さん、ありがとうございました。今後も宇部高卒の皆様とご縁を築いていければと思っております。 

メイクレッスンサロン スリーグラフィティ – 柴田祐美子 (しばた ゆみこ)

アクティブにチャレンジ!  H23(2011)年卒 江本卓史  Vol.3 -- 2017年9月15日
 平成23(2011)年卒の江本です。高校卒業後に、関東の大学へ進学し、昨年の春から九州へやってきました。今回、宇部高にまつわるお話ということで、宇部高での”学び”と”繋がり”について、書きたいと思います。 

 高校時代の想い出や学びは、沢山ありますが、入学後の全校集会で、当時の校長先生がおっしゃっていた言葉が、とても印象に残っています。その言葉が、今回のタイトルでもある「アクティブにチャレンジ!」という言葉です。「アクティブ」も「チャレンジ」も、よく使われる単語で、「積極的に挑戦をしよう」という話は、何度も聞いたことがありますが、なぜか2つの言葉が組み合わさった「アクティブにチャレンジ!」という言葉が、体育館での全校集会の風景と共に、鮮明に記憶に残っています。


  私は、高校時代は、通年の部活に所属しておらず、勉強中心の生活で、学校が終わると、友人たちと塾へ行き、自主室で勉強をして帰宅するというサイクルの繰り返しでした。そんな中でも、夏の高校生クイズ予選へ参加したり、新しくバスケを初めてみたり、文化祭で太鼓を叩いたりと、興味を持ったことには、チャレンジしました。また、高校3年の受験直前に、 どうしても行きたい大学ができてしまい、急遽、志望校を変更するという選択ができたのも、「アクティブにチャレンジ!」の言葉や文化があったからこそだと思います。

 高校卒業後は、山口を離れて関東の大学へ進学しましたが、関東でも宇部高の繋がりの強さを感じることができました。大学1年生の夏に、友人に誘われて、初めて参加した「東京かたばみ総会」では、なかなか会う機会がなかった友人と再会できたこと、また、各界でご活躍されている先輩方とお話しさせていただいたことが、大変貴重な経験となりました。

 そのような経験と繋がりの中で、大学2年の時に、宇部高の仲間を中心として、有志団体を立ち上げ、山口県の高校生に対するキャリア支援活動を始めました。地方の高校生に将来の選択に関する情報と機会が不足しているという問題意識をきっかけに、地元出身の大学生と交流しながら、将来について考える機会を提供する活動です。この取り組みでも、沢山の宇部高の先輩方にお世話になり、関東で過ごした期間は、山口にいた時よりも、宇部や山口を感じることが多い時間だったと思います。

 大学卒業後は、関東を離れて福岡での生活が始まりましたが、九州に来てからも、かたばみ会の懇親会への参加や、福岡在住の同期との飲み会を通して、宇部高の繋がりもさらに広がってきました。同期と飲む機会に、自分のやりたいことや、やるべきことを大切にしながら、色々な分野でチャレンジしている話を聞くと、とても刺激を受けます。

 「アクティブにチャレンジ!」という言葉は、宇部高を、本当によく表している言葉だと思います。

  私自身、社会人2年目というまだまだ若手の立場ではありますが、宇部高校での「アクティブにチャレンジ!」という“学び”と、先輩方や後輩、同期との“繋がり”を大切にしながら、地元の山口県や社会に貢献するものを創っていきたいと思います。– 江本 卓史(えもと たかし)

本と眠り  H16(2004)年卒 中川一光  Vol.2 -- 2017年8月30日
 平成16(2004)年卒の中川です。九大の旧六本松キャンパスの脇でカフェ&バーを営んでおります。よろしくお願いします。宇部高校時代の思い出と言えば、よく寝て、よく本を読んでいたなという記憶があります。

 寝ていたのに記憶とはおかしな話ですが、もともと中学時代から授業中に良く寝る癖があり、宇部高校に入学した後も授業中に惰眠を貪っていました。いびきをかいては起こされ、いびきをかいては起こされ、クラスメイトや先生方にはご迷惑をかけたと思います。午前の授業を終え、昼休みに入ると5分で弁当を平らげ、図書館に直行、科学雑誌や新聞、明治時代の小説や歴史小説などを読んでいました。当時は文学百選をすべて読んでやるぞ!という意気込みでした。図書室では司書の先生や、他のクラスの友人と仲良くなり、良く本の紹介をお互いにしていました。

 自分では手に取らないような本やジャンル違いの本などを紹介してもらい、知見が広がったように思います。授業中の昼寝→昼休みは図書室→放課後は部活、3年間このセットを毎日繰り返していました。休みの日には宇部の市立図書館に行き、ひかり書店で立ち読みし、恩田にあったブックオフで立ち読みという1日で複数の本屋を巡り、漫画を含め、本当によく本を読んでいたと思います。

 これだけ授業で寝ていて、図書室にいると、心配になるのが成績です。かろうじてテスト範囲は分かるものの、授業内容は全く分からず、1年生初めての中間試験は下から数えた方が速いという結果でした。これでは行けないと思い一念発起し、期末試験では猛勉強。下から数えるより、上から数えた方が良いという結果になりました。当時の担任からも全同学年で一番順位が上がったと言われ、嬉しかった記憶があります。さて、前述から怠惰さをお見せしておりますが、自分はやれば出来ると思い込んでしまい、その後はまったく勉強しないようになりました。相変わらず、睡眠→図書室→部活→書店というサイクルを繰り返していたものの、何とか関東の大学に後期入試で滑り込むことが出来ました。

 運よく関東の大学に進学の後、帰省や旅行の際には宇部高校の友人に非常にお世話になりました。当時茨城県に住んでいた私は帰省のためにJR鈍行が乗り放題の青春18きっぷで鈍行で帰省していました。道中は各地の大学に進学した宇部高校の同窓生の下宿に泊めてもらい、各地を観光しながら帰省。旧交を温めながら、名古屋・京都・岡山等を数泊しながらのんびりと、帰省していました。

 

 そして大学を卒業し社会人となり、福岡に来て、高校時代には交流のなかった同級生とも交流が始まりました。関東の会社に就職したものの、福岡支店に配属。その際の上司は偶然にも宇部高の先輩。就職した会社を辞めて、行く当てもない私に、ご飯をおごってくれたのもまた、宇部高校の友人。考えもなしにお店を始めたときに開店祝いの花を贈ってくれたのも宇部高校の友人。そしてこのたび、九州かたばみ会も結成され、ご縁があり、幹事を務めさせていただくこととなり、学年を超えた交流が出来るようになりました。同窓生との幅広い交流が始まるようになり、大変嬉しく思います。

 最後に宣伝になってしまいますが、今年の10月1日から新しく福岡市中央区六本松でブックカフェをオープンする運びとなりました。高校時代は図書室に良く通ったものですが、まさか自分でブックカフェをオープンするとは思ってもみませんでした。名前は「Shoin Cafe」。書院という意味と吉田松陰先生の名前を掛け合わせ、お店の名前としました。宇部や山口にゆかりのある本も置く予定ですので、ぜひお越しいただければ幸いです。– 中川 一光 (なかがわ いっこう)

かけがえのない出会い  S59(1984)年卒 永見秀徳  Vol.1 -- 2017年8月15日
 はじめまして、昭和59(1984)年卒の永見と申します。トップバッターということですが、事務局の石神さんからの指令ですので僭越ながら投稿させていただきます。宇部高校にまつわる話であれば何でも、とのことですが、何を書けば良いやらと思案しましたが、思いつくままに書き綴りたいと思います。

 さて、宇部高校は今も昔も県下有数の進学校として知られております。しかし全員が超優秀というわけではなく、私のような落ちこぼれも含まれているわけです。そんな私でも、楽しい高校生活が遅れたのは、ひとえに宇部高校の自由な校風のおかげであったと思います。本当に授業についていくのは大変で、特に英語や数学は授業の進み方も速くて、全くついていけなかったのをよく覚えています。

 そんな中、私の英語は致命的とも言えるレベルで、定期考査の前になるとクラスの友人が「勉強したんか?」と真顔で叱責してくれたものです。その友人は私のバカさ加減に気づいていて、必ず英語の訳のコピーをくれて「訳ぐらい憶えて来い」と叱ってくれました。そのおかげもあって、なんとか宇部高校を卒業し、一浪ののち大学に進学することが出来ました。

 浪人生活は伝統の補習課で過ごしました。これまた周囲は秀才揃いの中に紛れ込んでいましたが、楽しい仲間たちでした。その中から大学教授になっている友だちもいて、とても眩しく思います。あの灰色のズボンも、今となっては貴重な体験でした。宇部の街で聞かれると「サビエルの男子部」と適当なことを言っていましたが、そのサビエルが共学になる日がくるとは思いませんでしたね。


写真1:大学1年の時、約1ヶ月北海道を走破

 さて、補習課時代の夏に、一通のハガキが届きました。ハガキの主は1年と3年の時に同じクラスだったN君。それまで手紙をもらったことなどありませんでした。彼は、勉強はトップクラス、運動も得意、音楽では甘い声で歌い、顔もイケメン、さらにみんなに好かれる好青年。そうです、天が二物どころか沢山の才能を授けた人物でした。ハガキにはデカデカと「永見ちゃん、がんばれ」とかいてありました。京都大学に現役で入学した彼は、浪人中の同級生に激励のハガキを送ってくれたのです。正直、大変驚き、そして嬉しかったです。ただの秀才ではなく、いろんな才能や他人を思いやれる人が集まった高校、それが宇部高校なんだろうなと思いました。その中で高校生活を送れたことは、本当に幸せだったなあと思います。勉強は確かに大変でしたが。

 補習課の後、職員室の先生方の反対を押し切って()奈良大学へ進学し、考古学を学びました。そこでも生涯の師と思える先生との出会いがあり、考古学の楽しさに取り憑かれて、かれこれ30年になります。その時、地理を教えておられた相本先生だけが、奈良大学進学を後押ししてくださいました。これから必ず伸びる大学だと。

 今思えば、宇部高校での基礎があってこそ、この人生を送れていると、大げさすぎるかも知れませんが思っています。九州でもかたばみ会が誕生し、あの学び舎での交流が再び活性化するかと思うと嬉しくてたまりません。また、会場で皆さんにお会いする日を楽しみにしております。 — 永見 秀徳 (ながみ ひでのり) 


写真2:旅先のマカオで(2015年)

宇部高校にまつわるエッセーをお寄せください♪

*題材:宇部高にまつわるお話 –“宇部高時代の思い出” “最近の宇部高ってこんな感じです”など
*長さ:800字以上
*写真:1枚以上
*プライバシー:ファーストネームのみやペンネームでもOKです。卒業年は掲載させて頂きます。

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